実はこの10年、日々に忙殺され、鑑賞する時間がなく、遠ざかっていた音楽と映画です。
やはり、心に響く音楽と映画はいいです。最近のブームはオアシス 「Whatever」。
I'm free to be whatever I Whatever I choose And I'll sing the blues if I want
俺は自由さ どうなろうと 何を選ぼうと 歌いたきゃブルースだって歌うぜ
I'm free to say whatever I Whatever I like If it's wrong or right it's alright
何を言おうと 俺は自由だ 何が好きだろうと 正しくとも正しくなくとも なんの問題もない
開業を決意してから、この曲を自分の思いをリンクさせて聴いていました。20年前とは違って聴こえます。バックを流れるヴァイオリンの音色がとても心地よいので、今年はヴァイオリンに挑戦してみようかと思案中です。
邦楽では、斎藤和義「優しくなりたい」がお気に入りです。
お気に入りの映画は、「戦場のピアニスト」「レオン」「リトルダンサー」・・・ほかにもたくさんあります。おすすすめの映画があればぜひ教えてください。いつでも魂をゆさぶる、音と映像を求めています。
ジャンルは幅広く、ときにはこぶしをまわして演歌を熱唱します。
出身地は、広島県のまんなかに位置する瀬戸内海に面した竹原市というところです。
電車はJRのみの単線、1時間に一本程度というかなりの田舎です。竹原には海も山もあり、自然に囲まれて育ちました。瀬戸の島々がとてもきれいな海で、しまなみ海道はすぐ近くです。海には歩いて行ける環境にあり、夏休みはほぼ毎日海へ行き、海水浴三昧の日々を過ごして真っ黒でした。
今は京都に住んでいますが、やはり海を見ると安心します。幼少期をこのように自然の中で思い切り遊ぶ毎日を過ごせて、幸せだったなあと今更ながら思います。
内海で一番の思い出は、家族で魚釣りにでかけたときに偶然遭遇したスナメリクジラ。
船ではなく、陸で釣りをしていたのですが、大きな波しぶきと音をたてて、2頭のスナメリクジラが小さな魚をおいかけていました。このスナメリクジラ、それほど大きくはなく、イルカに近いかもしれません。水族館ではなく、偶然、自然の中であった出来事、とても神秘的で、ちょっとこわいくらいでした。いまでも家族で話にでます。
ちなみに最近では息子が実家に帰省すると魚釣りがしたいというので、彼のお年玉で釣り竿を購入し、キープしてあります。
中学時代はソフトボール部に所属して、これまた毎日外での部活動に励む毎日、とにかく真っ黒でした。
高校は電車通学にあこがれたもので、広島県呉市にある高校へ。かなりの田舎ですので、電車は1時間に1本。都会では考えられない不便さのなか、まじめに通学しました。
大学は兵庫県西宮市にある神戸女学院大学へ入学し、楽しく充実した4年間を送りました。田舎者には梅田、三宮に電車で15分ということだけでもかなりの衝撃でした。
親の心配もあり、一人暮らしはせず、寮生活を4年間送りました。
入学して、寮にはいっての一番のカルチャーショックは、朝から食事の前にみんなで讃美歌を歌い、「アーメン」とお祈りしての朝食です。厳しい寮で、お掃除当番から電話当番まで全員で協力してきびしく楽しく生活していましたので、協調性には自信があります。
そして、大学3年生の1月の阪神淡路大震災にあい、その寮も被災。全壊となりました。ベッドごとゆられて部屋の中を大移動ののち、部屋から脱出、体育館に逃げこみました。翌日には広島へ電車で長い時間をかけて帰ったのですが、阪急西宮北口まで歩く途中に見た建物の倒壊・・・ほんとに人生なにが起こるかわからないと恐怖に感じました。涙がでました。生きててよかった、そう思います。
大学卒業時、進路が決まっていない人はほとんどいなかった中、わたしは「税理士の勉強をはじめよう」と無謀にも決意。なぜ、税理士に?
理由は「経営者になりたかった」、経営の基本はまず自分で経理ができることだと思ったからです。そして、「スペシャリストになりたい」「一生仕事をしたい」という思いからです。
この時点で簿記を学んだこととすらなかったので、まずは簿記3級の勉強からスタート。長い道のりになるかもしれないと思いましたが、絶対にあきらめないと決心しました。
約1年間は勉強に専念したものの、社会と離れている不安から、就職を決意。某監査法人でアシスタントとして3年間、上司である公認会計士とともにクライアント先で会計監査のお手伝いをさせてもらいました。そのときお世話になった上司には今でもとても感謝しています。
そして再び、「勉強したい」という思いを胸に、広島大学大学院へ。最初は法律用語すらおぼつかない状態で、正直つらい毎日でしたが、20代から50代までの幅広い仲間に助けてもらい無事修了。そのときに、周りに助けてもらったことはいまでも感謝しています。やはり、なんにおいても助け合える仲間は大切です、横のつながりは大事です。そう感じた濃い2年間でした。
大学院修了後、税理士試験にも無事合格し、税理士としての資格を得ることができ、同時に結婚して京都での生活をスタートしました。
そして、2件の税理士事務所で10年。実務経験を積み、補助税理士として勤務させていただきました。
はじめてお客様に喜んでいただき、自分の仕事に対する喜びを感じたときのことは今でも覚えています。税理士事務所での通常業務である給与計算をして、急いで給与台帳をFAXで送ったときのことです。
自分としては当たり前にしたことでした。この当たり前にしたことに対して「急いで給与計算をしていただいたおかげで、給与振り込みに間に合うことができました。ありがとうございました。」と丁寧なFAX文書が事務所に届いたのです。
自分の仕事で喜んでもらえる、そのことをわざわざ伝えていただいたことがとてもうれしく思いました。今でもそのFAX文書は大事に残してあります。このときの気持ち、絶対に忘れません。
勤務税理士時代は、担当させていただいたお客様のご発展とともに税理士として自分になにができるか問いかけた10年間でした。
医療に特化した事務所で、個人のクリニックはもちろん、医療法人設立、医療法人の事業承継、ほかには相続税申告、資産保有会社を設立しての事業承継対策など、幅広く業務に携わらせていただきました。新しい業務にも積極的にかかわらせていただき、多くの経験させていただいたことに感謝しています。
このような経験を経て、平成26年4月に独立開業いたしました。開業するにあたり、もちろん不安はありましたが、1回きりの人生を悔いのないように送りたいと思い決意を固めました。もともと、「経営者になりたい」思いから税理士を志したわけですから。
開業してよかったと思うのは、やはり同じ経営者として同じ目線でお話できることです。経験してみないとわからなかった喜び、やりがい、そして悩み・・・みなさまと共有できることは大変ありがたいことです。
税務はもちろん、経営のこと、日常のことまでなんでも気軽にご質問いただき、土方奈緒税理士事務所に依頼してよかった、出会えてよかったと思っていただけることを目標にしています。そして、一番の理解者として、パートナーとして、お客様とともに成長したいと思います。